真夜中乙女戦争

 

自担の佐野晶哉くんがやんちゃな役(ニッコリ)で出演するということで観に行ってきました、「真夜中乙女戦争」!

 

 

原作を読んだ時は正直あまりしっくりこなかったのだけれど、映画が予想以上に素晴らしかった。万人受けする内容ではないと思いますが、個人的にはとても好きな作品でした。

 

 

※以下、ネタバレを含みます。

 

簡単にストーリーを説明させていただくと、永瀬廉くん演じる主人公の「私」がエライザさん演じる美しく聡明な「先輩」と柄本さん演じる危険でカリスマ性のある「黒服」に出会い恋をしたり大学の秩序を乱したり東京を爆破したりする映画です。(クソ雑)

ホラー要素はないのですが、急な爆発音や若干の暴力的要素はありますので、苦手な方はちょっとだけ注意した方が良いかもしれません。

私も得意な方ではないので2回目以降爆発シーンは耳に指突っ込んで観てました

 

まず「私」。永瀬くん、ステージでパフォーマンスしてる時はあんなにキラキラしているのに死んだ魚の目が上手すぎるし上京したての芋大学生役がしっくりきすぎている。

東京タワーと「先輩」のことは大好きで、でも東京も大学もチャラチャラした量産型無個性大学生も嫌いで入学数週間で大学に通う意味もなんなら生きる意味も見いだせず絶望している大学一年生。東京破壊計画の言い出しっぺ。とんでもない拗らせ野郎なのに、何故だか見ているうちにぎゅっと抱きしめてあげたくなる存在。時間が経過していくにつれどんどん美しく(「かっこ良い」より「美しい」という表現が合っていると思っている)なっていって目が離せなかった。黒服とのキスシーンは今まで見た映画史上最も耽美だったかもしれない。


佐野くん演じる「佐藤」。「私」と同郷の同級生で「私」とは違い世渡り上手の意識高い系大学生。お行儀の悪い表現をすればヤリチン。なんだけど、自分より経験値の少ない友人(「私」)にセックスした人数を自慢してマウントをとってくるあたり、まだまだ青臭い童貞の残り香がして憎めないなあと思いました。抑圧された地方の中高一貫校(それも男子校)でずっと勉強と部活動しかしてこなかったんだからはじけたくなる気持ちも分かる。ただ君と同じように相手だって君のことを一夜限りの都合良い男と思っている可能性は大いにあるし、寝ただけですぐ好きになるような女はメンヘラの可能性が非常に高いので注意してくれ。


「先輩」。さすがにエライザさん級の美女はなかなかいませんが、ああいう女子学生、見たことある〜!!!!美人で頭が良くて友達がたくさんいて、酒も遊びもしっかり嗜んでる割に意識が高い。絶対大手企業のインターンしながら読モかサロモやってる。私はそこそこひねくれているので、「先輩」が「私」をやたら気にかけたり(そんなことしたら好かれるのは目に見えてる)ちょこちょこ自分の弱さを「私」に見せるところがあざとくて苦手だなあと思ってしまいました。ただ、劇中の「可愛かった?」「じゃあ吐かない」のくだりはあまりにも可愛くてずるいな〜と思った。あんなの、好きにならない方が無理。

 

「黒服」。とにもかくにも柄本さんがかっこよすぎる。次舞台挨拶があったら私は「佑」うちわを持って参戦します。パンフレットを読んで『「黒服」は「私」に恋をしていた』という設定を知った時は目からウロコだったのですが、それを前提に2回目を見たら、確かに「黒服」から「私」に向けられた目線やセリフから「私」に対する恋慕の感情が垣間見えた気がします。ただ、社会から虐げられてきた人たちを取り込んでいく手法はカルト宗教と同じで怖かったし、そのスペックの高さと「やると決めたらやる」という冷酷非道さはまるで人を破滅へ誘う死神のようでした。(実際死神だったのかもしれない。そのくらいファンタジックな存在でした)

 

 

恋愛にのめり込んだり、セックスした人数を自慢したり、周りの学生のことをつまらない奴らと見下したり、授業をほっぽりだして映画館に籠ったり。全部大学生だからこそ許される特権だと思います。彼らのように虚勢を張ったり無力感に苛まれたりしながら、気づいたら平凡で無個性なサラリーマンになっていた私にとって、映画に出てくる登場人物はかつての私自身で、痛々しくも愛おしく感じました。

 

 

 

以下、私なりの考察です。

 

  • この作品に込められたメッセージ

この映画で主に描かれているのは破壊と失恋だけど、「私」を絶望から救い出す物語でもあると感じました。

最初に「私」を受容してくれたのは「黒服」だったけれど、一緒に東京の夜景を見ながら「私」がふとこぼした「全部壊してみないか」という一言が「黒服」の衝動に火をつけ、結果として東京中が破壊される未曾有のテロに繋がってしまった。最終的に「黒服」とは決別するものの、破壊を止めることまではできず、あんなにも恋焦がれている「先輩」の人生までもめちゃくちゃにしてしまう。

一方で「先輩」は「黒服」と手を組んだ「私」を「許さない」と真っ向から否定しつつも「生きているなら今はそれでよしとしてあげるよ」という言葉を投げかけている。それは「間違いや失敗は元に戻せないけれど、生きてさえいればいつか光は見える」という彼女なりのエールだと思っていて、その言葉に「私」は心底救われたのではないかと思います。そしてそれこそが、この作品に込められたメッセージなんじゃないかと感じました。

 

 

劇中で「黒服」と「私」が観ていた映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』。現在はパブリックドメインになっているため私はYouTubeにアップロードされていたものを鑑賞しました。

 

劇中に登場する「オルロック伯爵」の正体は、実はネズミと一緒に疫病を撒き散らし街を滅ぼそうとしている吸血鬼。(『アウトブレイク』も然り、今のコロナ禍を彷彿とさせる設定ですよね)主人公の妻であるエレンは、ある日手にした本に書いてあった「純潔な乙女がその美しさで吸血鬼を惑わせれば、朝日を浴びさせて退治できる」という方法に則り、オルロックに自分の血を吸わせることで気を引き、その間に夜が明けオルロックは朝日を浴びて消滅する・・・というストーリーなのですが、このシチュエーションが「私」が「黒服」を刺し殺すシーンと非常によく似ているなと思いました。

 

すなわち

吸血鬼(オルロック)=黒服

乙女(エレン)=私

吸血鬼に自分の血を吸わせることで気を引き、朝日を浴びさせ退治する=「黒服」にキスをして彼の意識を一瞬奪っている間にナイフで刺し殺す

という伏線回収だと解釈しました。

「黒服」にキスする「私」が「吸血鬼を惑わせる乙女」とリンクしたからこそ、あのキスシーンがあんなにも破滅的で美しいものに感じられたのかもしれません。

 

 

  • 東京タワーと先輩

原作では東京タワーも焼け落ちるという設定だったかと思いますが、映画では、TEAM常連の「田中」の発言からもおそらく東京タワーだけは爆破の計画対象から外されています。東京の高層ビル群は黒服一派が制裁対象とする資本主義社会(=競争/格差/学歴主義社会)の象徴だから否応なしに破壊すべき対象だった一方、東京タワーは戦後のまっさらな地に出来た日本人の復興の象徴であり、原点回帰の意味も込めて唯一残されたのでしょうか・・・?

 

また、その凛とした美しさでスクラップアンドビルドが繰り返される東京を見守り続けた(ある意味生き抜いてきた)東京タワーと、競争社会をサバイブしてきた「先輩」は重なる存在でもあるのではないかと思います。

黒服一派の破壊によって更地になった東京に唯一東京タワーの光だけが点るように、絶望で真っ暗になった「私」の心に一筋の光をもたらしたのが「先輩」だったのでは、と解釈しました。

 

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次にこの映画を観るときは鑑賞後東京タワーのふもとまで歩いてみるのも良いかもしれない。

御一緒してくださる乙女の方、随時募集中です。